バハマ43年の歴史に幕
2006年8月18日 音楽大阪・ミナミの老舗ライブハウス「バハマ」が11月23日に閉店することが17日、分かった。昭和60年代に「アースシェイカー」「44マグナム」など数多くの有名バンドを輩出。大阪ロックの聖地として全国に名をはせたが、オーナーの健康上の理由などで43年の歴史に幕を閉じる。大阪ではキタの「バナナホール」が、建物を所有する企業から明け渡しを求める訴訟を起こされるなど、老舗ライブハウスが苦難の時代を迎えているだけにファンや音楽関係者からは存続を求める声が強まっている。
昭和38年10月にオープンしたバハマは御堂筋から西に入ったアメリカ村近くに位置。レンガ造りの外観は創業当時から変わらず、ステージのある地下1階に客が100人も入れば、店外に人があふれ出すほどの小さな店だ。
「一生懸命やっている若いミュージシャンを見ていると手伝ってやりたくなった」とオーナーの藤田淑子さん。数々のバンドの無名時代を支え、「姉さん」と親しまれながら、マネジメントを手がけてきた。
音楽活動に専念できるようスケジュール管理から演奏のアドバイスまで行い、レコード会社との交渉などもサポートしてきた。その結果、昭和58年にメジャーデビューしたのがハードロックバンド「アースシェイカー」だ。
ギタリストの石原慎一郎さん(46)は当時、店のアルバイトスタッフ。彼らの活動拠点を少しでも広げようと、デモテープを手に、関西のライブハウスを回ったのが藤田さんだった。出演を断られることも多かったが、足しげく通う藤田さんに心を打たれたオーナーらが、次第にその音楽性を認めてくれたという。
さらに、バハマでは、現在では当たり前になっているチャージバック制を全国に先駆けて導入。大半のライブハウスが、バンド側からお金をとって出演させていた時代に、チケットの売り上げの1部を出演料としてバンドに払った。制度はたちまち全国に広がり、バンドの支援にもつながった。
こうした地道な活動が実り昭和50年代後半から、「アースシェイカー」のほか、「44マグナム」「プレゼンス」などハードロックやヘビーメタル系の数多くのバンドが次々とメジャーデビュー。彼らの「ホームグラウンド」として人気を集めた。
しかし近年は東京へと活動の場を求めるミュージシャンが増え、観客動員数も昭和60年ごろの年間1万人をピークに減少傾向に転じ、半数にまで落ち込んでいた。今年6月末、藤田さんは一切のマネジメントから手を引き、閉店することを決心した。
石原さんは「自分のルーツを失った思い。若いバンドを親身になって育ててくれるライブハウスが大阪から消えていくのはつらい」と閉店を惜しんだ。
閉店を知らせるメッセージをHPに出したところ「やめないで」「どうか続けてほしい」などの存続を願うファンや音楽関係者からのメールや電話などが100件以上殺到したという。
藤田さんは「個人的な健康上の理由などありますが、日本のロックの一時代を支えたバハマの役割は終えたと思います」と閉店の理由を語った。
最近バナナホールも閉鎖危機、チキンジョージも改装中と寂しい関西ライブハウスシーンにまたひとつ寂しい知らせですね。
大阪のメタル、ハードロック小僧の聖地バハマが閉鎖です。
かんぞうもいろいろ思い出もあります。なんかさみしいなあ。。。
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